今までの私の旅行で本州最西端は広島県だよなーと脳がバグりがち。
広島旅行の中で1日だけ岩国旅行に行ったのもあるかもしれない。
そんな山口県岩国市で2026年午年に良さげな神社?があったので題材に。
西岩国駅が1時間に1本くらいの時刻表だったのもある。
岩国駅、西岩国駅の中間あたりにあり電車+徒歩だと30分程のアクセス。
駐車場もありますがすぐお隣の白崎八幡宮のでもいいかも。
岩国護国神社
由緒・由来
旧岩国藩主吉川経幹公が、維新前後の戦役に斃れたる森脇孫太郎命外二一士の霊を奉慰するため、社地を岩国町関所山に定め、明治元年(一八六八)に招魂社を造営し、椎尾八幡宮祠官を以って祀座祭を執行する。
同三年(一八七〇)、山口藩の兵制改革に際し、旧諸隊の暴動があった。この討伐に際して戦死した岩国藩兵大林寅次郎外四名を合祀したが、これらはすべて官費による祭典であった。明治四年(一八七一)、廃藩置県の令により、吉川氏は、岩国藩知事を免ぜられたので、当社は吉川氏の所有となり、祭祀営繕費の総てを同家が支弁することになった。同七年(一八七四)、吉川家より右招魂場全部を県へ寄贈したいと山口県庁に出願があり、同八年(一八七五)に認可された。
以来、山口県庁の管理に属して官費の支弁を受け、関所山招魂社と称した。その後、明治二十四年(一八九一)、山口県庁の達に依り、官祭の二字を冠することとなって、関所山官祭招魂社と称した。
このように、当社は当初の、祭祀者二十七名の御霊の外、その後の西南・日清・日露・各事変や大東亜戦争の戦歿者の英霊を合祀した。社号は昭和十四年(一九三九)、全国の招魂社を護国神社と改称することとなり、同年、山口県庁より岩国護国神社と称する旨の許可があった。
尚、戦後の占領下にあって、一時岩国神社と呼称したが、その後旧社号に改められた。昭和二十年(一九四五)の豪雨のため境内や参道が損壊し、昭和二十八年(一九五三)、現在地に社殿を造営して遷祀した。
※上記サイトより引用
明治維新前後から始まった招魂社。
それ以来から第二次世界大戦までの英霊たちを祀る神社でございますね。
この説明にもある岩国藩も長州藩からは一部だけど江戸幕府からは外様大名、みたいな変則的な扱いだったと。
こういう名前もあまり出ない&石高も多くない雑魚藩の歴史とかワクワクしちゃいますよねえ…
神社仏閣はもちろん好きですし
各地の護国神社も行ってきたよなぁと数えてみました。
札幌護國神社、秋田縣護國神社、千葉縣護國神社(移転前&移転後)、埼玉縣護國神社、茨城縣護國神社、山梨縣護國神社、愛知縣護國神社、岐阜護国神社、長野県護国神社、諏訪護国神社、富山県護国神社、滋賀縣護國神社、京都霊山護国神社、大阪護國神社、兵庫縣姫路護國神社、広島護国神社
意外とまだ行ってない所も多かった🙃これを備忘録とする!
…靖国神社のサイト見たけど岩国護国神社や諏訪護国神社は載ってねえですね🤔
余談ですが、静岡護国神社は駅に着いた時にもう夜だったから行けなかったし
千葉護国神社はぶっ壊して跡地にマンション建設!?罰当たり過ぎか!?
と思ったら神社側の意向で移転されたんですねえ。
この岩国護国神社、県庁所在地でご立派にある他の護国神社と違い、質素な感じ。
英霊たちが静かに過ごすにはいいのかもしれない。
宮司も常駐していないため御朱印も近くの椎尾八幡宮でいただくと、他の方のクチコミ・レビューにも。
そんな訳で拝殿にて二礼二拍手一礼。
こういう所ではお願い事より「お疲れ様でございました…」と挨拶したくなる奴。

まあどの神社でもほぼお願い事しないけども。
こういう所でのご挨拶は忠霊塔の方がいいのんか?
などと考えつつ2026年、令和8年、午年!なのでウマ要素を。
境内には格好いい馬の像があります。菊の御紋入り!🐎

後には日の丸の国旗もあるしいいですね、心が落ち着きますね。
ぜひ初詣の際に参拝していってください。
高台にもなっているため意外と眺めも良いです👀
でも足の悪い人などには少し厳しいかも…
ちなみに隣は融通の神 白崎八幡宮ですし
すぐ近くには岩國白蛇神社(いわくにしろへびじんじゃ)|山口県岩国市
もあるので併せてお参りしちゃいましょう✊
2025年巳年の時に白蛇神社ブログに書いておけば良かったなあ🐍
ほな12年後のへび年の際にまた…
『リーンの翼』でも岩国市が舞台だから(噓は言ってない)聖地巡礼にもいいね!!ね??
見事だよ、エイサップ鈴木くん…!